須坂商業高校/17年3月31日で閉校
僕の母校須坂商業高校は一昨年4月に須坂園芸高校と統合になり須坂創成高校になりました。当時の1年生は須坂創成高校生、2年生はそれぞれ須坂商業生、須坂園芸生になりましたが当時の2年生がこの春卒業することになり3月31日で須坂商業高校、須坂園芸高校はそれぞれの歴史の幕が閉じることになりました。
大正15年から続いた須坂商業高校の歴史も3月31日で終わりますが閉校に一番近い日曜日の3月26日に須坂商業の最後の姿を見たいと思い出かけてみました。
校門の外から須坂商業の名前の入った場所と近い将来取り壊される校舎を記念撮影しました。校舎の玄関に須坂商業高等学校と記されていたと思いましたが表から見たら無くなっていたようでした。僕が入学した頃は旧校舎で現在の校舎は僕が卒業する昭和61年直前に出来て僕は現在の校舎の最初の卒業生になりますがその校舎が取り壊され1つのサイクルが変わったのと時の流れを感じました。
間もなく取り壊されてしまう校舎を見ながら僕はこの場所に存在したんだな…と懐かしくもあり寂しくもありいろいろな思いを感じました。第一志望ではなかったし気の合わない同級生も多かったですが現在となっては良き思い出になり須坂商業を卒業して良かったと思いました。
いつまでも見ていても閉校の事実は変わらないので最後に一礼して校舎を後にしました。そして信号を渡り僕の高校時代の一番の思い出の場所に行きました。
僕の前blogプラネマン便りの須坂商業カテゴリーに書いたことがありましたが僕の高校時代には学校の前にセブンイレブンがありこの場所で通学途中に須商を中退した人に殴られたことがありました。
その時はトラウマになり進路が決定したら格闘技をしたいと思いました。紆余曲折がありましたがその後僅か3戦でしたがキックボクシングのプロのリングに上がりました。格闘技の中の最大の思い出は吉本興行さんがスポンサーになってくれた試合に出場して難波グランド花月地下のディスコで試合をしました。この場所は修学旅行に行き集合写真を撮影した場所でこの場所で試合をしたことで殴られたことに対する落とし前がついたと思いました。そして殴られたセブンイレブンの場所からプロのリングにたどり着いたんだな…と感慨深いものがありました。
須坂商業に行ったことがきっかけで格闘技を通じ人があまり体験できない良き青春時代を過ごせました。この経験を違った方法で生かしていきたいと思います。
他に印象に残っているOBの人で部活の大会のお昼にほかほか亭さんの弁当を買って行きましたがその時のお店の人が須商のOBで僕の学生服の校章を見て話しかけてきて大会頑張れよ!と言ってくれました。そのOBはどうしているか気になりますが元気でいて欲しいと思います。
書きたいことはたくさんありますが上手くまとめることが出来ずに申し訳なく思います。大正15年より続いた母校須坂商業高校よ…お疲れさまでした。この場所で学んだ皆様や教職員の皆様のご多幸と新しく始まる須坂創成高校の歴史に期待しています。
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