68歳空手家熊に襲われ撃退/山梨県・宮川道場/宮川博人館長

プラネマン2

2017年08月02日 05:22

昨日8月1日ヤフーニュースを見ていたら「68歳空手家熊に襲われ撃退」とあり凄い人がいるな!と思いながら名前を見たら知っている人でした。名前が宮川博人氏とあり「宮川館長だ!」と胸熱でした。


今から22年前の1995年僕は現在とは想像がつきませんがキックボクシングをしていました。僕は新卒で大阪に配属になりそこでキックボクシングを始めた関係で大阪を主戦場にしていました。


その年の夏に吉本興行さんが僕の所属していた連盟のスポンサーになってくれ難波グランド花月地下のディスコで興行を行い僕も出場しました。その時に宮川博人館長と娘さんともう一人の選手が出場して初めて宮川博人館長と会いました。


宮川道場さんはK-1や総合の試合にも出場したことがあり流派の枠を越え活躍しているのを知っていました。山梨県と長野県は近いので今度試合があった時は呼んでくれるという話になり3ヶ月後の11月12日に石和町の清流公園で宮川博人館長が興行を行い声をかけてもらいました。


タイトルマッチや宮川博人館長の門下生や娘さんがプロレスラーと異種格闘技戦を行いその前座に出場させてもらいました。


僕の対戦相手は障がいを持ちながらも宮川道場さんに入門して鍛えキックボクシングにチャレンジしてきた選手でした。その選手の稽古の様子や仕事の様子や試合が山梨放送でテレビ放映されることになり僕が対戦相手に選ばれました。


宮川道場の選手は根性があり良いところを出せず結果は判定負けでしたがプロレスのリングはスプリングが効いて軸足が定まらないほど柔らかく本格的なリングで感激でした。僕は小さな頃プロレスラーになりたかったのでプロレスラーと同じ控え室になりプロレスラーと同じリングに上がれ形を変えプロレスのリングに上がる夢が叶い幸せでした。試合は完全アウェイでしたが試合後は温かな拍手と声援をいただき格闘技をして良かったと思いました。


その後建築関係の仕事をしていた僕はオリンピック特需になり何年分の仕事をすることになり家を建てたことなど重なり格闘技はやめましたが今回のニュースで宮川博人館長が熊にワンツーから左の回し蹴りを決めた場面が想像できバリバリの現役で鍛練を怠たっていなかった知り武道家のかがみのようでそして積極的に大会を開催して実戦空手の普及に務めていたことを知り嬉しく思いました。


宮川博人館長、プロレスラーと同じリングに立たせてもらい夢や活躍の場をいただきありがとうございました。宮川博人館長が生涯現役であることと山梨県で実戦空手が根付いていくことを願っています。

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