倉田まり子さん/1986年9月29日/芸能界引退

プラネマン2

2016年10月08日 22:20

僕のブログプラネマン便りは9月27日で容量が一杯になり終了しました。新しいブログを作るまでの間に前のブログを読み返しこんなことを書いていたのか…と驚くのが楽しかったです。

そんな中でまり子さんカテゴリーの「1986年9月29日再出発の日」という内容を読んで胸が熱くなりました。


元アイドル歌手倉田まり子さんは1980年代前半に美少女アイドルとして注目されました。

僕も幼少期に倉田まり子さんが学生服や味噌ラーメンのコマーシャルに登場して可愛かった記憶があります。しかし倉田まり子さんは汚名を着せられ芸能界から去ることになりました。


著書によるとしばらく引きこもりになり公の場に登場しませんでしたが1986年9月29日にワイドショーに出演芸能界引退を宣言して以後倉田まり子を名乗ることなく本名の坪田まり子さんとして生きていきました。


僕は1986年に大学受験を目指し東京にいましたが9月30日に池袋駅で吐いて西口の胃腸病院に行きました。翌日検査をしてくれることになりましたが吐く恐怖から電車を一駅ごと乗り降りしてやっと下宿に着きました。翌日池袋までタクシーで行きましたが十二指腸に潰瘍が出来ていました。


その後僕が引きこもりになりまり子さんと思わぬ接点がありまり子さんが他人のように思えませんでした。


以後倉田まり子さんは芸能界での知名度を使わず畑違いの分野で起業してアイドル歌手で実業の世界で成功するのは稀で素晴らしいと思います。


僕がまり子さん芸能界引退、再出発のことをブログアップしてからまり子さんは著書を何冊か書き就活関係の本は早稲田大学の生協の中で売上が高いと知りました。


他にまり子さんは士業に携わり実力がありながらアピールできない人に自己PRのやり方を指導したり企業や自治体から依頼があったプレゼンテーションの仕事をしたり東京学芸大学客員教授として多方面で活躍しています。


この世には素晴らしい女性がたくさんいます。しかし人生のビハインドを乗り越え畑違いの分野で成功したことや引きこもり経験者としてまり子さんを尊敬しています。


まり子さんは今も昔も若者に夢を与え続け素晴らしいと思います。僕もまり子さんの足元に遥かに及ばないにしても50代を目前に新しいことにチャレンジしたいと思いました。

まり子さん芸能界引退30年の節目にあたり更なる活躍を願っています。

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