昭和のプロレスを盛り上げたジミースヌーカ選手が死去したニュースを知りプロレス関連の記事を見ていたところインディーズプロレスを盛り上げていた金村キンタロー選手が昨年の12月27日に26年の選手生活にピリオドを打ち引退したと知り残念に思いました。
僕が初めて金村キンタロー選手を知ったのは1992年8月のwing川崎体育館興行でした。僕は当時父親の具合が悪くなり大阪から長野市に戻ることになりお盆休み明けから出勤することになりました。
長野市に戻ればプロレス観戦も頻繁に出来なくなると思い最後の思い出作りのつもりでマスカラス対カネックの試合があった川崎体育館に友人と行きました。
前座試合はつまらなく僕も友人も眠くなっていましたが金村キンタロー選手が登場すると空気が変わったことに驚いたのが最初のインパクトでした。
その後何度かwingが長野県に巡業に来て観戦に行きました。金村キンタロー選手はファンがリングを触ろうとすると蹴りを入れたり怒鳴ったりしていました。悪い意味ではなく自分たちの神聖な場所を気安く触るな!そんな意味合いが伝わり怒鳴られていたファンがいけないと感じました。他のインディーズ系のレスラーより気持ちが違うと感じました。
かつて上田市出身で桑田投手の暴露本を出してプロレスに転向した中牧選手がいました。94年頃に東部町の体育館で中牧選手の凱旋興行があり見に行きました。
メインイベントは中牧選手と金村キンタロー選手対邪道選手と外道選手の対戦でした。中牧選手は剃刀か何かで自分の額を切ったのが見えてセンスがないな…と思いましたが金村キンタロー選手と邪道選手外道選手が試合を組み立て中牧選手のセンスの無さをカバーしたのが印象的でした。
その後僕はプロレスからしばらく離れていましたが2年前の6月にアークスホールにFMWが巡業に来て観戦に行きました。
金村キンタロー選手はセミファイナルでシングルマッチで若手を一蹴後マイクをとり「おい、長野の田舎者!聞いているか?メインイベントにも出場するぞ!」と言いました。
長野の田舎者!と言われてもブーイングは起きずメインイベント出場で歓声が起きました。ファンは僕と同じでファイトに期待しているのだから田舎者云々…と言われても何も思わなかったと感じました。金村キンタロー選手は2試合続けたとは思えない激しいファイトをしていました。
引退試合の記事を見ると金村キンタロー選手は若い世代に対して「ぼろぼろになるからつぶしのきくうちにやめときや」と言ったそうですが言葉通りの身体を張ったプロレスラー生活だったと思います。
左足のしびれが引退の理由ということで復帰はないと思いますが金村キンタロー選手、26年間お疲れさまでした。そして感動をありがとうございました。第2の人生のご多幸を願っています。