頑張れ!/同年代の星/長井満也選手

プラネマン2

2017年05月17日 12:32

昨日5月16日はアークスホールに全日本プロレスさんが巡業に来ました。ジャイアント馬場選手がいた頃に比べれば娯楽が増えたりテレビで見る機会も減りプロレスの置かれる環境も昭和時代とは変わりましたが生観戦のプロレスは楽しく改めてプロレスが好きなんだな!と感じました。


平日ということもあり空席が目立ちましたがその分ファンサービスも良くなっているように感じました。


リング調整の時間に試合を終了したばかりの長井満也選手がサイン会をしていたのでサインを貰いました。

僕は若い頃1986年から1990年まで東京に住んでいました。最初は知り合いもいなくて繁華街や観光地に1人で行っても面白くなかったですが後楽園ホールにプロレスや格闘技の試合を見に行くとお客さんと話をするわけではありませんが同好の人たちが集まる一体感が居心地が良くバイト代のほとんどをプロレスや格闘技観戦に使っていました。


その頃格闘技雑誌ではシュートボクシングの特集記事を良くみましたが重いクラスを盛り上げていたのが今回サインをもらった長井満也選手でした。


サインをもらいながらシュートボクシングを見に行った話をすると長井満也選手は懐かしいな!と話していました。


当時のシュートボクシングは本戦は10分1ラウンド、階級はホーク級など鳥の名前を使っていました。最近はシュートボクシングも女性選手を中心にメディアに登場する機会が増えましたが長井満也選手は昭和時代のシュートボクシング創成期から格闘技一筋で生きてきて凄いと思いました。


一昨年10月の全日本プロレスさんのアークスホール興行でウルティモドラゴン選手と地元松本市出身の青柳選手が対戦しました。試合終了後ウルティモドラゴン選手が青柳選手のお父さんにマイクを向けて対話した時に青柳選手のお父さんは僕と同じ年だと知り驚きました。


気がつかないうちにどんどんと時が流れてしまう衝撃を感じました。僕の仕事関係の人で40代で大病になり入院した人が3人いました。


身体は無理が効かなくなり若手の台頭に中高年には生き難い時代になったと思いますが現役バリバリで闘う長井満也選手を見るともの凄い元気を貰い同年代の星だと思いました。


長井満也選手これからも若い選手を跳ね退け生涯現役で頑張って欲しいと思います。長井満也選手の更なる活躍を願っています。

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