2017年06月10日
元プロレスラー/坂口征二さん/重病克服

坂口征二さんは明治大学柔道部で鳴らしプロレス入りした昭和を代表する名プロレスラーでした。トレードマークの赤いパンツと燃えよ荒鷲の壮大なテーマソングで入場していました。
柔道で鍛えたフィジカルで猪木さんの補佐的な立場で新日本プロレスを支えてきました。
50歳の僕が小学生だった1975年頃新日本プロレスは土曜日の夕方に放送され当時の小学校の担任の先生の下宿で見た記憶があります。(ちなみに全日本プロレスは日曜日深夜に放送されていました)
坂口征二さんはストロング小林選手と組み北米タッグチャンピオンとしてタイガージェットシン選手やアフリカ系の選手と対戦したのを覚えています。そして長身を生かした落差のあるアトミックドロップは痛そうでインパクトがありました。
坂口征二はシングルの試合はあまり印象にありませんが坂口征二さんが倒されることで相手に箔がつき猪木さんとの対決が盛り上がりました。
個人的に坂口征二さんの試合で印象的だったのはUWF勢と対戦した時にアキレス腱固めを立って返した場面と1990年2月の東京ドームで猪木さんと組み橋本選手、蝶野選手と対戦した世代間の争いの試合で(橋本選手の「時は来た、それだけだ!」と発言した試合)橋本選手の蹴りを受けて痛々しかったのが印象的でした。
大人になってみると坂口征二さんがテレビ放送権を持って新日本プロレスに来たのが発展した第一歩でもしも坂口征二さんが馬場さんについたら日本のプロレスも変わっていたと思います。坂口征二さんは柔道のベースがありテレビ放映権を持って来たのに猪木さんに対して歯向かうこともなく常に猪木さんを立てているイメージがあり立派だと思いました。(後輩にあたる小川選手に暴行されたのはプロレスの中の出来事だと思いますが…)
僕は就職するとそんなにプロレスが見れないと思い専門学校を卒業した1990年3月に卒業旅行のつもりで当時住んでいた東京から名古屋まで新日本プロレスを観戦(ファンの間では密航)しました。
その時に坂口征二さんの引退式があり2人の息子さんが花束を贈呈しました。思えばそれは27年前の話で学生服を着て花束を渡した長男の坂口征夫選手はプロレスラーになり昨年6月にアークスホールに出場、思い切り坂口コールをしました。次男坂口憲二さんは最近はあまり見ませんがイケメン俳優として活躍、アイスホッケーが好きだと知り親しみが持てました。
そして坂口征二さんは75歳になったと知り時の流れの早さに驚かされますが新日本プロレスがぶれないように厳しく目を光らせて欲しいと思います。坂口征二さんの更なるご健康とご多幸を願っています。
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Posted by プラネマン2 at 23:18│Comments(0)
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