2018年04月01日

名古屋を映画で一番熱い街に/シネマ狂想曲/関係者トークショー開催

昨日3月31日から長野ロキシーさんで「シネマ狂想曲/名古屋映画館革命」の上映が始まり初日トークイベントが開催され出かけてみました。


メーテレ(名古屋テレビ放送)が制作し2017年2月に放送されたドキュメンタリー番組「シネマ狂想曲/名古屋映画館革命」が好評で未公開シーンを加え劇場版にしたのが今回公開された映画でした。名古屋市にあるミニシアター/シネマスコーレの副支配人坪井篤史氏の映画に対する執念に近い思いを描いた作品でした。


映画を愛する故にシネコンではなくミニシアターで働く坪井篤史氏は名古屋市を映画で一番熱い街にしたいと考え名古屋映画館革命を企てています。


映画の上映は行わずトークだけで進行するアメカルという映画祭を15年続けているそうですが坪井篤史氏のトークを聞いて15年続く理由が分かった気がしました。


アパートを借りてVHSを7000本所有しているのは圧巻でした。泥棒に2回入られたエピソードや現場検証をした警察官と映画トークで盛り上がった話しなど熱さを感じました。トークイベントでは坪井篤史氏の他に名古屋でシネコンに勤める森裕介氏とVHSを買い出しに行く場面があり同業他社と垣根を越えて交流している様子から深い映画愛を感じました。


坪井篤史氏は大学の非常勤講師もしており授業の様子も映されていました。トマトが人間を襲う話はぜひ聞いてみたかったです。


ストーリーが進むにつれ映画愛=おたくのイメージが出来て坪井篤史氏は独身で好きな映画にのめり込んでいると固定観念が出来てきましたが坪井篤史氏には10歳の娘さんと奥さんがいてある意味ショッキングでした。


トークイベントでは坪井篤史氏の娘さんも舞台挨拶をしてサインしてくれお父さんの映画館革を理解サポートしていました。


僕は社会に染まり稼いだ人が勝ち、出世した人が勝ちという思い込みが出来ていましたが坪井篤史氏はそんな思いを打ち砕いてくれ幸せの形は人それぞれだと思いました。


この日僕は土曜日出勤で週6勤務しましたが年度末の会議で寝てしまい指摘されました。しかし坪井篤史氏の1時間喋りっぱなしのトークでは熱さ故に眠くならずにいました。


坪井篤史氏のトークイベントでは映画館革命の枠を越えた堅苦しくない人生論を感じ行って良かったと思いました。


坪井篤史氏のトークイベントを聞いて幼少の頃父親が単身赴任した先の諏訪に行き海のトリトンとヤマトの二本立てを見たことや小6の時に閉館した東宝中劇でドラえもんを見に行き権堂界隈でちょっとした冒険気分を味わったことや高2の時に閉館した須坂映劇で薬師丸ひろ子さんのメインテーマを見た思い出など映画館で見た時のワクワク感を思いだしロキシーさんをサポートしていきたいと思いました。


話が濃すぎて上手く表現出来ませんが熱いトークイベントでした。坪井篤史氏の名古屋映画館革命の成就とロキシーさんでのシネマ狂想曲の盛会を願っています。  


Posted by プラネマン2 at 06:40Comments(4)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2018年03月20日

長野発/ドキュメンタリー映画/言葉のきずな/上映会&ワークショップ開催

3月17日長野ロキシーさんで長野発のドキュメンタリー映画言葉のきずなの特別上映会が開催されました。午後1時から上映、3時から約1時間ワークショップが開催されました。今回はロキシーさんが主催でなかったのであまり告知されていませんでしたがワークショップのインタビューを聞くと東京や南佐久からも来場して熱意のある人が多く実りある上映会だと感じました。


脳卒中など病気によって上手くしゃべれない失言症と呼ばれる人たちが演劇に打ち込むことにより自分の生き甲斐を見つけて行くドキュメンタリーでした。


長野市の失言症の人たちの劇団ぐるっと一座の皆様を中心に上田と松本での同様な取り組みやぐるっと一座のメンバーの紹介など失言症にスポットを当て見応えがありました。


メンバーの中でも見た目は普通でも方向感覚が分からなくなってしまう人や数字が分からなくなってしまう人まで症状はまちまちですが皆演劇を通じ生き生きとしているのが素晴らしいと思いました。


失言症は不自由だが不幸でない!という発言がありましたが説得力がありました。演劇に出演するにあたり母親が反対していたメンバーがいましたが舞台を見て母親が感動していたのが印象的でした。今回出演した人の中には学生時代に倒れてしまった人、34歳で倒れてしまった人など症状はそれぞれですが倒れる前は失言症になると思っていなかったと思います。独身で倒れてしまった人もいて他人事ではないと思いました。


ワークショップによると300人に1人は失言症だと言い劇団ぐるっと一座のことを知らない失言症患者もいると思うので1度地上波で放送して欲しいと思いました。


この映画の監督はNHKで福祉の番組を制作しており失言症患者の奥さんがこうした取り組みがありますよ!と売り込み監督が仕事の傍ら長野市まで来て制作した熱意のある映画で伝わってくるものが大きく見て良かったと思いました。監督や関係者の皆様素晴らしい映画をありがとうございました。失言症の皆様への理解が深まって欲しいと思った素晴らしい映画でした。  


Posted by プラネマン2 at 09:56Comments(0)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2018年03月11日

第九をバレエで表現した/ダンシングベートーベン/3月16日までロキシーで上映

昨夜3月10日は長野ロキシーさんで上映中のダンシングベートーベンを見て来ました。

故モーリス・べジャール氏によって振り付けられた伝説のダンスがモーリス・べジャール・バレエ団と東京バレエ団、世界的な指揮者ズービン、メータ率いるイスラエルフィルハーモニー管弦楽団の演奏、合唱団、総勢350人が1つになりベートーベンの第九をバレエで表現した伝説のステージの東京公演が上演するまでを描いたドキュメンタリーです。


妊娠が発覚して主演を諦めるバレリーナ、そして若いバレリーナに役を代わられキャリアが中断する悩みと生まれてくる子供に対する期待、父親になる喜び、客席からは分からないバレリーナの舞台裏、必死さに胸が熱くなりました。


ステージの上では隣にいるバレリーナの国籍や肌の色は関係なく人類皆兄弟の精神で打ち込む関係者、ダイジェストですが洗練されたバレエ、バレリーナのためだけでなく第九の精神を踊りに例え描いた感動的な作品で細かな感想よりただ凄い、素晴らしい、芸術とベートーベンの偉大さを描いた作品でした。


この日観客は僕ともう1人だけでした。ゆっくり見れるのは良いのですがこうした作品はもっと注目されて欲しいと思いました。公開は3月16日までです。劇場のスクリーンで迫力のバレエと第九を味わって欲しいと思います。  


Posted by プラネマン2 at 05:23Comments(0)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2018年01月27日

犬派の僕も大満足/寒さも疲れも猫の可愛さに癒される/映画猫が教えてくれたこと

昨日1月26日は長野ロキシーさんで公開中のドキュメンタリー映画「猫が教えてくれたこと」を見に行きました。


トルコのイスタンブールを舞台に猫と人間の交流を猫の地上10センチの目線から描いた映画でした。舞台になったイスタンブールは遡ればオスマン帝国時代に港町で世界中から船が来ましたがネズミ対策で連れてきた猫がそのまま居着き人間と猫の交流が始まりました。


オスマン帝国は下水道が完備しましたがそれによりネズミも繁殖、猫がネズミハンターになり市民を助けたので長い間猫を大事にする風潮になったそうです。


西洋と東洋がミックスされた美しい街並みと人間と猫の交流を描いた映画でした。犬派の僕も大満足な作品でした。


子猫が大人の猫にやられた場面は可愛そうでしたが7匹の猫とその猫を大事にする人々の交流はどれも素晴らしく評価や可愛さは見る人によって違うと思うので猫派の人もそうでない人も劇場のスクリーンで体感して欲しいと思います。個人的には船を無くした漁師が気持ちが落ち込んでいたら猫が狂ったように鳴き財布が落ちていたという話が良かったです。


アメリカでは1館からスタートしたのが130館まで拡大、外国語のドキュメンタリーとしてはアメリカ史上3位にランキングされた映画で各方面で評価され見た人は満足できると思います。


僕が行った時は女性やカップルが多く和やかな気持ちになれる映画だと思います。2月9日まで上映期間が伸びたので多くの人に見て欲しいと思います。  


Posted by プラネマン2 at 13:00Comments(6)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2017年09月23日

ヌレエフの再来/セルゲイ・ポルーニンのドキュメンタリー

既に公開は終了しましたが9月17日日曜日に長野ロキシーさんで「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン/世界一優雅な野獣」を見に行きました。


ヌレエフの再来と呼ばれ19才で英国ロイヤルバレエ団史上最年少男性プリンシバルとなりながらもその2年後人気のピークで電撃退団した天才バレリーナセルゲイ・ポルーニンのドキュメンタリー映画です。


セルゲイ・ポルーニンは1989年にウクライナ、ヘルソンに生まれました。体操からバレエに転向、裕福な家庭ではなかったですがヘルソンからキエフ国立バレエ学校に入学しました。

学費がかかり父親はポルトガルに出稼ぎに行き祖母はギリシャでヘルパーの仕事をしてセルゲイ・ポルーニンの学費や生活費を稼ぎ母親は身の回りの世話をしていました。


母親は更なる高いレベルで学ばせるためにイギリス、ロイヤルバレエスクールに選考書類を送りました。返事が来なくて諦めていたところ合格通知がきました。受験者が多く1人1人を丁寧に見たために通知が遅れたそうです。


しかし母親はビザがありません。不法滞在をしてセルゲイ身の回りの世話をしようと思いましたがもしも見つかりセルゲイも国外追放されるとマズイのでイギリスにはセルゲイが1人で行きました。


セルゲイは自分のために一生懸命に働く家族に報いるために努力をして頭角を現してきます。そして19才で英国ロイヤルバレエ団史上最年少男性プリンシバルになりました。


しかしセルゲイは両親が離婚したことを知り自分が家族の絆を壊したことに自責の思いを感じ今までバレエ一筋で来た分反動で素行が乱れて行きました。そしていろいろな決まりやプレッシャーに嫌気が差してロイヤルバレエ団を退団しました。


その後ロシアで復活したり家族共によりを戻したりミュージックビデオがYouTube1800万回再生されるなど天才バレリーナの苦悩や復活が見事に描かれた素晴らしいドキュメンタリー映画でした。


劇中で時々写し出されるバレエはまさしく神業で圧巻でした。バレリーナが見ればもっと凄さが分かると思いますが野球やクラシックなど家族の支えで青春を何かにかけた人にぜひ見て欲しいと思いました。


長野市にいながらにして天才バレリーナを見ることができて上映してもらい嬉しく思いました。  


Posted by プラネマン2 at 23:45Comments(0)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2017年08月11日

長野市出身/零戦パイロット/原田要さんドキュメント映画

7月29日は長野ロキシーさんで「原田要平和への祈り/元ゼロ戦パイロットの100年」というドキュメンタリー映画を見に行きました。この日は宮尾哲雄監督と原田要氏の主治医の舞台挨拶があり出かけてみました。


長野市浅川地区出身の故原田要氏は17歳で旧日本海軍に志願、認められゼロ戦パイロットとして真珠湾攻撃やミッドウェー海戦にも参加、多数の敵機を打ち落とした戦争の最前線にいた元戦士でした。


命乞いしている敵を打ち落とした話や自身も撃墜されジャングルの上に着陸して九死に一生を得た話しや敵を深追いして空母に戻れなくなった時に母親に似た雲を見てそちらに行ったら助かったなど戦争体験の悲惨さわ感じると共に原田要氏は戦争体験を風化させないように守られていたのだと感じました。


信毎のカメラマンが報道の規制がある中で戦争時の様子を撮影した話しで蕎麦屋に材料がなくうどんを販売しても直ぐに売り切れた話しや中央通りに防空壕を掘った話しや和紙で風船爆弾を作った話しや女性に竹槍を習わせていた話しなど戦争時に生まれなくて良かったと思いました。


原田要氏は戦争が終わると一転して元軍人は社会から冷たくされGHQのマークもつき大変なようでした。そんな中で若槻団地の自治会長をした縁で共働き世帯のお子さんを預かるようになり幼児教育に情熱を注いでいくのは何かを成すために生まれてきたのだと感じました。


原田要氏は99歳で無くなったそうですが長野ロキシーさんも現在創立99年目で不思議な縁を感じました。最近のアベ政治を見ると軍靴の音がした時代に戻したい感じがしますがそんな中で原田要氏のことを語り継ぎ悲劇は1度だけにして欲しいと思いました。


この日普段閑散としている権堂は七夕祭りで賑やかでした。この幸せがいつまでも続いて欲しいと思いながら家路につきました。  


Posted by プラネマン2 at 23:59Comments(0)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2017年01月23日

7人の子供を育てた五島のトラさんに感激しました。

1月14日から長野ロキシーさんでドキュメンタリー映画「五島のトラさん」が公開されています。公開初日には大浦勝監督の舞台挨拶がありました。この日は生憎の大雪でしたが長野放送のカメラが入り女性アナウンサーがインタビューしたり五島列島の物産展をしたりで劇場内は凄い熱気と活気がありました。


長崎県五島列島の北部新上五島町に住む犬塚虎夫さんはかつては野球で長崎県代表になるスポーツマンでした。愛知県の大学に進学したこともありましたが父親が倒れ中退して島に戻り高校時代に知り合った奥さんとの間に7人の子供を授かりました。


五島のトラさんは名物五島うどんの製麺所を自宅に作り生計を立てていました。子供たちには毎朝5時にお越し家業を手伝わせていました。


時給換算してお小遣いを渡し家業を手伝うことでお金を稼ぐということを学ばせ早起きすることでご飯を美味しく食べる効果があることを教育方針にしていました。下は2歳の男の子も手伝いをしていました。子供たちにインタビューさせると手伝いが嫌だという子供もいて兄弟姉妹皆性格が違うんだな…と思いました。

大浦勝監督は五島列島で別の取材をした時に五島のトラさんのことを知り取材を始めたのが1993年でした。その後もデジタルカメラを担ぎ22年間トラさんの取材をしました。


その後子供たちも大きくなり島を離れて学校に通うようになり製麺所だけでは仕送りが出来ずに五島列島の綺麗な海水に目をつけて塩を作り始めました。


島を歩き天ぷら油を集め経費を使わずに塩を作りました。製麺所に塩の製作のダブルワークに家計の節約にうどんを食べるなど一生懸命生きているトラさんを見ていると僕の両親も必死な思いをして東京の専門学校を卒業した僕の学費を工面したのか……僕は独身子無しなので普段の生活では感じることのない親の苦労を知り胸が痛くなり泣けてきました。


子供たちの離島、別れ、結婚、出産など1993年に取材を始めてから22年を描きました。五島のトラさんは過労や酒好きから61歳で亡くなりました。


しかし7人の子供は皆社会人として独立して結婚、12人の孫が出来ました。写真家として写真集を出版したり陸上の長崎県代表になり教師になった子供など才能のある子供を育て立派でした。7人の子供のうち4人が島に残りました。製麺所を継いだ娘たちも自分の子供に家業を手伝わせていました。長女の夫は塩の仕事を引き継ぎ子供たちに雇用の確保や仕事を残したのはあっぱれでした。他に廃れそうな島の伝統芸能を継承していくのも素晴らしいと思いました。


少子化や過疎化など現代の日本の問題を問いかけたようで見応えがありました。そして独身の僕は親の有り難みが分かり泣けたドキュメンタリーでもありました。

監督の裏話で長男は一時期長野県でバーデンダーをして出来婚をして五島のトラさんが長野県まで謝りにきた…というエピソードを語り長野県にも縁がある映画だと思い更に親しみが持てました。


大浦勝監督素晴らしいドキュメンタリー映画をありがとうございました。そして良質なドキュメンタリーを公開してくれた長野ロキシーさんありがとうございました。子育てを終えた人、進行中の人に見て欲しいドキュメンタリーでした。  


Posted by プラネマン2 at 05:38Comments(0)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2017年01月02日

平均年齢83歳のダンサー/ラスベガスの世界大会出場へ/はじまりはヒップホップ

既に公開は終了しましたが長野ロキシーさんでニュージーランドのドキュメンタリー映画/はじまりはヒップホップを見ました。


ニュージーランド最大の都市オークランドからフェリーで35分の人口8千人程のワイヘキ島が舞台になります。


この島で老人たちによるダンスグループ「ヒップ・オペレーション・クルー」が誕生しました。


94歳のダンサー、73歳の若手メンバー、93歳の元教師、92歳の元軍曹など個性的なメンバーが集まっています。

骨盤を手術したような人たち…ということでヒップ・オペレーション・クルーという名前になったそうです。

振り付け師ビリーもヒップホップの専門家ではなく試行錯誤していますがニュージーランドでおきた地震で被災した過去をもち悩みながらも前向きに生きているのが印象的でした。


ビリーはラスベガスで開催される世界大会に出場することを提案しました。メディアに登場したり動画検索が120万回ありながらも資金が集まるのは別問題になりダンサーはそれぞれ持病、旅費、家族への説明などいろいろな壁に向き合いながらもラスベガスの舞台に立ったのは凄いと思いました。


最近は現在の政府に任せ年金が出るのか…そんな心配もあり老後のことを考えると憂鬱になりますが少しの勇気と好奇心が人生を輝かせることもあるのだと感じた見応えのあるドキュメンタリー映画でした。  


Posted by プラネマン2 at 22:53Comments(0)長野ロキシー/ドキュメンタリー

2016年10月09日

蔦監督/高校野球を変えた男の真実

更新が遅くなり1ヶ月以上前になりますが9月4日に1日限定で長野ロキシーさんで「蔦監督/高校野球を変えた男の真実」が公開されました。


僕はかつて甲子園を湧かせたKKコンビと同じ年でした。当時は野球が好きでなかったですがKKコンビを中心にいろいろなニュースが入ってきて高校野球が盛り上がっていた時期だと思います。その頃徳島県の池田高校監督として有名だったのが蔦監督でした。


今回の映画は蔦監督のお孫さんの蔦哲一郎さんが制作しました。今回の作品は高野連のフィルムを使った関係上商業公開には使えず入場無料の公演でした。哲一郎さんの舞台挨拶があり蔦監督が使用したダブダブのユニフォームを着て入場しました。


蔦哲一郎さんは祖父が有名で各地で公演活動を行っていたこともありあまり触れあった記憶がないと話していました。哲一郎さん自身は野球を選ばずサッカーをしていたそうです。


哲一郎さんは大学入学で東京に行きそこで徳島県出身で池田高校のことを話すと通じるので祖父について知りたいと思い教え子や関係者に蔦監督についてインタビューしてその話と当時のフィルムを中心にドキュメンタリー映画を撮影しました。


先に書いたように僕はKKコンビと同級生なのでPLの人文字や水野雄仁氏や畠山準氏のインタビューを見ると懐かしくなりました。

この映画の凄いところは蔦監督の都合の悪い部分も隠さず公開して美化しなかったことでした。


蔦監督が強くしたい気持ちと教育としてやりたい部長と上手くいかなかった話…
生徒の蔦監督を批判した手紙
数人が悪さをしたけど水野雄仁氏だけ許す…という発言なども公開してありのままの蔦監督を出したのは良かったと思います。


蔦監督がトンボをかけたりグラウンドの水を抜いていたエピソードは指導者がそこまでする例はあまりないので野球愛を感じました。

蔦監督は実はバントのサインを出すのを迷う位にナイーブな一面がありましたがその弱い部分が強打のやまびこ打線を作ったこと…


長く続けていればルールや用具が変わり自分に風が吹くことがあることをインタビューの中から学びました。

最後に蔦監督と戦友だったお茶の大家にインタビューして戦争を通じて辛い時代を生きていたことも知りそれが原動力になっていることを感じました。


今の時代では滅茶苦茶な行動に見える場面もありましたがその分手探りの中で一生懸命やってきたのだと感じました。昭和の時代の高校野球を支えた蔦監督も平成初期の1992年に引退、蔦監督を影ながら支え寮生の面倒を見た奥さんも亡くなり昭和は遠くなったと思いました。


池田高校の活躍で勇気を貰った地方の高校もあったと思います。高校野球の風潮を変えた蔦監督感動をありがとうございました。高校野球ファンにはぜひ見て欲しい作品でした。  


Posted by プラネマン2 at 15:26Comments(0)長野ロキシー/ドキュメンタリー