2016年10月09日

蔦監督/高校野球を変えた男の真実

更新が遅くなり1ヶ月以上前になりますが9月4日に1日限定で長野ロキシーさんで「蔦監督/高校野球を変えた男の真実」が公開されました。


僕はかつて甲子園を湧かせたKKコンビと同じ年でした。当時は野球が好きでなかったですがKKコンビを中心にいろいろなニュースが入ってきて高校野球が盛り上がっていた時期だと思います。その頃徳島県の池田高校監督として有名だったのが蔦監督でした。


今回の映画は蔦監督のお孫さんの蔦哲一郎さんが制作しました。今回の作品は高野連のフィルムを使った関係上商業公開には使えず入場無料の公演でした。哲一郎さんの舞台挨拶があり蔦監督が使用したダブダブのユニフォームを着て入場しました。


蔦哲一郎さんは祖父が有名で各地で公演活動を行っていたこともありあまり触れあった記憶がないと話していました。哲一郎さん自身は野球を選ばずサッカーをしていたそうです。


哲一郎さんは大学入学で東京に行きそこで徳島県出身で池田高校のことを話すと通じるので祖父について知りたいと思い教え子や関係者に蔦監督についてインタビューしてその話と当時のフィルムを中心にドキュメンタリー映画を撮影しました。


先に書いたように僕はKKコンビと同級生なのでPLの人文字や水野雄仁氏や畠山準氏のインタビューを見ると懐かしくなりました。

この映画の凄いところは蔦監督の都合の悪い部分も隠さず公開して美化しなかったことでした。


蔦監督が強くしたい気持ちと教育としてやりたい部長と上手くいかなかった話…
生徒の蔦監督を批判した手紙
数人が悪さをしたけど水野雄仁氏だけ許す…という発言なども公開してありのままの蔦監督を出したのは良かったと思います。


蔦監督がトンボをかけたりグラウンドの水を抜いていたエピソードは指導者がそこまでする例はあまりないので野球愛を感じました。

蔦監督は実はバントのサインを出すのを迷う位にナイーブな一面がありましたがその弱い部分が強打のやまびこ打線を作ったこと…


長く続けていればルールや用具が変わり自分に風が吹くことがあることをインタビューの中から学びました。

最後に蔦監督と戦友だったお茶の大家にインタビューして戦争を通じて辛い時代を生きていたことも知りそれが原動力になっていることを感じました。


今の時代では滅茶苦茶な行動に見える場面もありましたがその分手探りの中で一生懸命やってきたのだと感じました。昭和の時代の高校野球を支えた蔦監督も平成初期の1992年に引退、蔦監督を影ながら支え寮生の面倒を見た奥さんも亡くなり昭和は遠くなったと思いました。


池田高校の活躍で勇気を貰った地方の高校もあったと思います。高校野球の風潮を変えた蔦監督感動をありがとうございました。高校野球ファンにはぜひ見て欲しい作品でした。


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