2016年10月05日
松本山雅/反町監督は現代の永山盛輝


残り試合で波乱はあるかもしれませんが少なくともプレーオフには出場出来そうでサポーターも応援のやりがいがあると思います。JFL時代は切磋琢磨していた山雅とパルセイロ…反町監督が来てから大きく差が開いたと思います。反町監督の功績は大きいと思いますが最近反町監督は現代の永山盛輝だと思うようになりました。
話は変わりまして…長野県は教育県と呼ばれています。しかし僕はそう呼ばれることにもの凄く違和感がありました。長野市の男子高校生は進学で信大に行く以外はほとんどが市外に出ることになります。長野市内に男子が通える大学はありません。
オリンピックが開催された長野市ですがビッグハットやMウェーブにウインタースポーツを観戦に行ったことがある市民は圧倒的に少ないと思います。ほとんどの市民はMウェーブやビッグハットをウインタースポーツ施設として見ていないと思います。キムタクさんが来たら喜んで行くのにウインタースポーツは知らない…という市民が教育県の住人か疑問に思えます。
僕の講釈はこれくらいにして…2013年に県立歴史館で開催された「松本城に県庁があった…わずか5年の筑摩県」という講演で長野県が教育県と呼ばれる理由がわかり目から鱗が落ち歴史が好きになりました。詳しくは僕の前ブログプラネマン便り…県立歴史館のカテゴリーを見て欲しいと思います。
明治維新になり廃藩置県を行い薩長から有力者が新しく出来た県に配属になり中南信と飛騨高山地方を筑摩県と命名して薩摩より永山盛輝が知事に任命されました。
永山盛輝は西洋各国が豊かなのは学校教育によるものだと考え学校設立の奨励を行いました。
筑摩県医学兼病院、筑摩県師範学校の設立
信飛新聞という日本で一番早く新聞社の設立
江戸や武家文化が否定され全国的に城が取り壊される中でその象徴の松本城を残して観光の目玉になっているのは永山盛輝の影響だと思います。
永山盛輝は積極的な教育行政を展開したため「教育権令」と呼ばれ昭和30年頃まで永山盛輝の出身の鹿児島県では永山盛輝に学べ!と長野県に教員を派遣していたそうです。
長野県と筑摩県が統合され筑摩県の功績の教育県と呼ばれているだけで明治維新までは松代藩から幕府の要人が出たりで寺小屋は長野市の方が多かったですが永山盛輝が来てから立場は逆転しました。
話が長々となってしまいましたが反町監督はJFLの選手を預けられ3年でJ1昇格、降格後千葉戦を見て攻撃に迫力がないな…と生意気なことを思いましたが見事に立て直しました。反町監督はお金があるチームで有名選手を札束で呼んでいるわけではなく厳しい台所事情の中で勝ち上がっているから凄いと思います。
反町監督は松本市にサッカーの面白さを教え、経済的な潤い、ユース等育成面で多大な貢献をしてサッカー後進県である長野県のチームを全国レベルまで引き上げ永山盛輝とは教員とサッカーの違いはありますが凄いものを残した点では共通すると思います。
パルセイロはJリーグ関係者でM氏や強化部長でS氏を招聘しましたが貯金を全て食いつくしてペンペン草も生えなくなりました。松代藩の寺小屋のアドバンテージがありながら教育の分野で追い越された歴史の繰り返しがサッカーでも見られたのは残念に思います。
永山盛輝と反町監督…松本市を全国区にした2人の偉人が出た松本市を羨ましく思います。
琉球/鹿児島/J2 ライセンス取得
HFL1部/北信開催は4月8日千曲市の1試合だけ
Jリーグ/2017シーズン日程終了
松本山雅/4連勝で4位に
前パルセイロ/三浦文丈監督/7戦目でJ1初勝利
長野県にサッカーシーズン到来
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Posted by プラネマン2 at 21:45│Comments(0)
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